鹿児島家庭裁判所 昭和40年(少イ)4号 判決 1966年4月23日
被告人 西牟田剛
主文
被告人は無罪
理由
本件公訴事実の要旨は、
被告人は鹿児島市山之口町一〇番一六号において、カフェー「ブラック」を経営しているものであるが、昭和四〇年五月一二日頃から同年九月一〇日頃までの間、右ブラックにおいて、一八歳未満である○元○○子(昭和二三年一一月一二日生)を同店のホステスとして酒席に待する業務に就かせた。というにあるところ、右公訴事実の外形事実は検察官提出の各証処によつて明らかである。
しかしながら、被告人が右○元を満一八歳未満のものと認識していたと認めるに足る証拠はない。
検察官はこの点につき、被告人に未必の認識があつたと主張するので検討するのに、被告人は捜査段階から公判を通じ、終始一貫して、○元が満一八歳未満であることを知らず、満一八歳に達しているものと信じていた旨供述しており、その供述によれば、被告人が、かく信じた根拠とするところは、
(1) もと被告人の店でホステスとして働いていたことのある岩井田タカ子がその弟の賢二と○元を連れて来て、「私のこの弟の嫁ですが貴方の店で働かせて下さい。」と頼むので、○元の年齢を尋ねたところ、岩井田姉弟も○元も「一九歳です」と答えたこと。
(2) ○元は体格がよく、容姿、態度からみて、二〇歳位には見えたこと。
(3) ○元を雇入れて四、五日ないし一週間位後、○元の母親が被告人の店を訪れた際、○元の年齢を確めたところ一八歳であると答えたこと。
以上の三点にあるものと認められる。しかして、これらの事実は被告人の検察官および司法警察員に対する各供述調書、被告人の当公判廷における供述、○元○○子の司法警察員宮原清三に対する昭和四〇年一〇月二八日付供述調書、証人○元キクの当公判廷における供述、中村洋の司法警察員に対する供述調書を綜合すればこれを認めることができるのであり、右(3)の事由は○元を雇入れた後の事情であるからこれは除外するとして、右(1)および(2)の如き事情の下で被告人が○元を満一八歳に達しているものと誤信したとしても必ずしも不自然ではなく、首肯し得ないことではない(本件は面識のない者から紹介を受けた場合や、本人が単独で求職の申込みをした場合とは異り、もとの使用人から弟の嫁として紹介されているのであり、しかも、同人等が口を揃えて一九歳であるといい、本人の体位、容貌、態度等からも一見二〇歳位に見えるというのであるから同人等の言を安易に信じたとしても格別不思議はない)。しかのみならず、被告人の供述は終始一貫していて、その間に格別矛盾はなく、関係証拠に徴しても、被告人が自己の利益のため殊更事実を歪曲して述べているものとは認められず、被告人の前記供述を単なる弁解として排斥することはできない。更に、○元○○子の前記供述調書によつて認められる被告人が○元を紹介された際、「うちは一日八〇〇円で、その日に計算するからそれでよかつたら明日から来なさい。」と言つている事実および被告人の前記各供述調書および当公判廷における供述ならびに前記証人○元キクの証言によつて認められる○元の母が被告人の店を訪れた際(被告人が、○元とその内縁の夫の関係が思わしくないのを案じ、○元に命じて呼び寄せたもの)被告人が○元の母に○元を実家に連れ帰るよう勧告している事実を考え合わせると、少くとも、その当時被告人には、○元を積極的に雇用しようという意図も、またその必要性もなかつたことがうかがわれるのであつて、被告人が法に抵触する蓋然性を認識しながら敢えて○元を雇用したと認定することには躊躇せざるを得ない。もつとも、被告人の供述(前記各供述調書および当公判廷の供述)中には、「○元の母に年齢を確めたところ、一八歳であるといつたので安心して働いて貰うことにした」との趣旨の供述があり、一見、被告人が○元の母に年齢を確認するまでは○元を満一八歳未満であるかも知れないとの疑念を抱いていたのではないかと見られる節がないでもないが、被告人のこれら供述を通読すれば、右供述部分はかかる趣旨で述べられたものではないことは明らかであつて、右「安心して」云々というのは、○元の母に確めても一八歳に達していることは間違いなかつたということを強調する言葉の綾に過ぎないものと認められ、これを捉えて、被告人が右の如き疑念を抱いていたものとみなすのは早計といわねばならない。
そうすると、本件においてはこの点に関する適切な証拠は他にないから、被告人が、○元が満一八歳に満たないものであることにつき、未必の認識を有していたものと認めることができない。
ところで、検察官は、被告人が○元の年齢を満一八歳に達しているものと信じていたとしてもその年齢調査を十分に行わなかつた以上刑事責任は免れることができないと主張するが、労働基養法六三条二項違反の罪には児童福祉法六〇条三項の如き規定がないから右罪の成立には一八歳未満のものであることの認識もしくは未必の認識を要し、年齢の認識に過失のある場合はこれを処罰し得ないものと解するのが相当である。すなわち、児童福祉法六〇条三項は処罰の対象を「児童を使用する者」に限定しており、これ以外の者については年齢の認識に過失があつてもこれを処罰し得ないことは同条項の解釈上当然であつて、同条項はまさに刑法三八条一項但書という「特別の規定」と解すべく、これを単なる注意的規定と解する検察官の見解には到底賛同し難く、児童福祉法三四条一項と同種類似の禁止規定である労働基準法六三条二項の達反行為についてのみかかる特別規定をまたず、年齢の認識に過失のある場合をも当然処罰するとなす合理的理由はなく、また、かかる過失の処罰規定を他の犯罪に類推適用することについては罪刑法定主義の見地上、消極に解さざるを得ない。したがつて、検察官の右主張は到底採用することができない。
してみると、本件は被告人の故意につき証明がなく、結局本件公訴事実につき犯罪の証明がないことに帰するから刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡しをすることとする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 小野幹雄)